負の価値観。

  • Day:2011.02.22 23:35
  • Cat:草稿



参考(四月の仕事)



趣味や好みというものは、一致せずとも、(家族はもちろん)友人になることも恋人になることも出来る。
もちろん共通している部分が多ければ、関係のはじめのきっかけにはなるだろうが、それだけのことである。

人間のこだわりというのは「好きなもの」と「嫌いなもの」の間にある「どうでもいいもの」が大半だから、よほど価値観に相違が無い限りは、共に重ねた時間が、「違うこと」を同じに変えてしまうか、違うままに認め合わせてしまう。

特に恋愛については、互いの違うところを埋めながら(あるいは、違うところを諦めて一緒にいる理由を育てながら)「好き」を増やしていけるのも、大きな楽しさだろう。



ただし、「好きなもの」や「嫌いなもの」の中には、自分の感情の基礎部分に関わる、決して譲れないものが誰にだってあるもの。
そこに決定的な相違があった場合、理解し合うことは、ほとんど絶望的だろう。


特に、怒りや憎しみ、不快などの感情の源泉部分に根ざす負の価値観は、容易に変えること、覆すことはできない。

そして、だからこそ、その部分で共感できる相手には、例えば同じタイミング、同じ熱量で怒りを分かち合える相手に対しては、「好きなもの」に共感できる以上の、強いシンパシーを覚えるのである。





春の桜並木の下、美希がプロデューサーに、大切な幼なじみの話をする。

ある日突然、その子が現れなくなった理由について、
「死んだのかもな。哀しいことはいつも突然起きるものだし」
と可能性で答えるP。
それに対して、美希は、普段ののんびりしたこだわりのない態度からは考えられないほど、静かに、ものすごく、怒る。
「……ありえない」

ありえないことないぞ?とさらに続けるPに対して、美希は、ありえないのはミキにそんなこと言っちゃうそこの人(プロデューサーさん)だ、と言う。

ある日突然公園に来なくなった友だち。
以前も書いたように、誰よりも美希こそが、その理由を考え続けてきたはずなのである。
プロデューサーの言う可能性など、美希だって言われずとも分かっている。
その上で、でもいつかまたひょっこり会えるかもしれない、と言う希望を胸に、大切に守ってきた思い出なのだ。


401.jpg





好きな物や綺麗なものを嬉しそうに語る美希は、もちろん好きだ。
けれど、それ以上に筆者がたまらなく好きなのは、すべてをかけてもいいと思えるのは、


このコミュに限らず、自分の本当に大切なものを傷つけられたとき、心の底から否定する。はっきりと不快を露わす、表現する。拒絶する。失望し、怒ることができる。自分の心を、曲げず、譲らない。


そういう美希、だったりする。



(人によってはそれは「悪いところ」だととられるかもしれないけれどね)



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  • 2011/02/23 21:58
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