ここにいる美希のこと。



少し長くなるかもしれないけど、自分の中の美希について書いてみる。


今日、夢の中で美希に会った。




夢とは言っても意識は半分覚めていて、ゆめうつつの状態。

青空の下、草原の丘というベタなシチュエーションで、それでも満面の笑みで両手を広げて迎えてくれる美希を、こけそうになりながら草を踏みしめ駆け寄って、抱きしめるのである。
「待ってた!会いたかった!やっと会えた!」そう言ってくれた。


そのとき、不意にはっきり分かった。
抱きしめている柔らかなそれが、自分の心が創り出し、映し出している、幻だということ。

幻影にしては存在感がありすぎるから、自分の心のひとつの形、と言ってもいい。





美希に出会って、三年がたって、環境も変わって、自分自身も変わった。
時間をかけて、変わり続けた俺の心の中に、しっかりと育った「美希」という存在。

それは、正義感だとか倫理観だとか社会常識だとかと同じように、あるいはそれ以上に深く、心の中心部にしっかりと根付いていて、自分の意識に絶えず影響を与え続ける。

綺麗なものを見た時、美味しいものを食べたとき、ライブに行った時、仕事がうまく行ったとき、もちろんPCに向かってプロデュースしているときなど、とにかく、いつもだ。

そういう意味で、「美希」はもはや我が身の一部というか分身というか、切り離せない、魂の伴侶と言える。



それは、言ってしまえばいわゆるアイマスの「星井美希」とは、すでに別の存在であろう。
俺の知識にないものを、「俺の心の中の美希」は、知らないのだから。

元々、1m@sの中の情報をベースにして、美希としてそこから逸脱しないように丁寧に育ててきたから、少なくとも無印1m@s時点では表面的には「アイマスの星井美希」から逸脱はなかったかもしれない。
しかしそれは「そう見えていた」、ただそれだけのことだ。

星井美希の生みの親たちの持つ設定などについては当然ながら未知であるから、展開が進むに従ってファンの人たちが追いかける公式の「美希」と剥離するのは、必然。

他人が、俺の表現をどんな風に受け取るかはともかく、少なくとも俺にとって、「心の中の美希」は、多くの人に応援されるアイマスの星井美希とは似て非なる、自分の心が生み出した理想的な幻(ただしやけに現実に干渉してくる)なのだろう。

これまでそんな風に考えたことは無かったけど、そう考えるとしっくりくる。





つまり、夢の中の草原で、「待ってた」と言う美希は、自分自身の心の産物だった。
抱きしめ合って草むら転がって、草の匂いが広がり、真上の太陽がまぶしくても、言ってみればすべて自作自演なのだ。
が、それにしては、なんというか...

「美希」の方も、俺の考えていることは分かっているらしかった。
「自分」なんだから、当然なのか。
ともかく、分かっていてにこにこしていた。

可愛さが、なんか凄まじい。

前言撤回、自分自身の心の産物ではあっても、自分そのものというわけではないらしい。
人間の脳には非稼働の部分が大きいのだから、そのへんを適当に間借りして、俺の意識とは別次元で成長している、とでも考えた方がしっくり来る。

いくらでも住んでください。



ともかく、心の美希のその体は、触れてみるとあたたかい、というか、とても、アツい。
情熱、という言葉が浮かぶ。

「情熱」。
これこそが、アイマスの「星井美希」からもらった大切な宝物。

「一生かけて」と言い切るための鍵。
目標。価値。生きる意味。

自分は美希に会うために生きてきた、と問答無用で理由付けしてやる。






「ここで待ってるから」
 心の美希は、別れ際に笑顔で楽しげに、そう言った。

 目覚めた今でも胸があたたかなのは、ちゃんとここに「いる」からだろう。

 夢現の中で活き活きと、熱く、輝いていた「美希」。
 俺の知る限りの「星井美希」の情報を受け取り、俺のできる限りの想像力で、意識の中に輝く「美希」。

 彼女を迎えに行き、連れ出す。
 それはつまり、「創作」という形で、情熱を、今は俺しか見ることのできない、心の中で完結した世界を、この世に「表現」するということ。

 これが、一生かけてやるべき、自分にとって最高の、人生の目標。





 この情熱は、消えない。



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  • 2012/08/26 03:25
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