日常

大震災の前と後とで、日常の中にたくさんある「常識」が、いくつも大きく変化した。
それらは時間がたてば新たな「日常」となって、かつての「常識」は記憶から薄れて消えていくだろう。

そういう変化は、本当は、常日頃から起こっているものだけど、それが実感としてはっきり感じられることは滅多にない。

たとえば携帯電話。
すっかり生活に根付いてしまった現代からしてみれば、携帯通信機器なしでプライベートもビジネスも問題無く過ごせていた過去の常識は、すでに想像に難い。
(勿論未だに所持していない人もいる。個人レベルでは無いなら無いなりにやりようはあるもの。ただし、公衆電話が多数撤去されている現状ではやはり不便が多い)
「持っている」のが当たり前になったのは、一体いつ頃からだっただろうか。
少なくとも、ある一日を境に、というような、実感が伴う極端な変化ではなかった。


大きな変化も、その渦中にあると実感しづらいもの。
後になってからふと省みて、いつの間にか変わったなあと気付くのが常だ。


でも、この一ヶ月の間は、常識が変わるのが、見えた。
はっきりと目に見える変化がいくつもあった。

二ヶ月前の自分に、今の日本の新たな日常の話をしたとしても、現実だとは認識できないだろう。
それくらい急に、あっという間に、様々なことが変化した。
時代の変わり目を体感するというのは、こういう感じなのかもしれない。

もちろん、気付いていない変化も水面下でたくさんあり、今も進行しているだろう。
すでに日常の中に取り込まれた事柄もあるだろうし、反面、すでに過去に成り果てたものもあるはずだ。



そういう急な流れの中では、「ここ」での活動はどうにも進められなかった。
自分の場合は、アイマスを、美希を、現実に、日常に重ねていくことで想像力を刺激して、自分の中での彼女の現実感、存在感を高めていく、そういうやり方で動いてきたぶん、「日常そのもの」の大きな変化、そして重ねるには重く冷たいいくつもの現実を受けて、方向性を見失ってしまったのだ。



震災から一ヶ月以上が経ち、変化はだいぶん、緩やかになってきている。
手探りだけど、ともかく再び、動き始める。

(まずは、オフラインで一応進めていた、週毎、月毎の目標のまとめから)

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